徐羅伐の過去と現在が共存するところ、都市全体が一つの巨大な文化遺跡をいっぱいに込めた、巨大なタイムカプセルのような慶州。ユネスコ世界文化遺産に登録された石窟庵と仏国寺、慶州歴史遺跡地区、良洞村をはじめ、数百個の文化遺産が保存されている、韓国最大の歴史文化都市である。
1. 天馬塚
慶州一帯で最も大きな規模を誇る "皇南里古墳群"がある。40㏊の広さで、大きく小さく湧き上がった23基の封墳は、それぞれ芝が綺麗で色味が豊かである。ラクダの背中のように滑らかな曲線をもつ封墳は、それぞれ味鄒王陵、黄南大塚などの名前をもっている。その中で、唯一の内部の姿を公開している天馬塚。
1973年4月16日に始まった発掘が4ヶ月後、その内容を発表するまで'155号古墳 "という普通名詞に過ぎなかった封墳が、天馬塚という固有名詞に生まれ変わった。アクセサリー類8,766点、武器類1,234点、馬具類504点、食器類226点、その他796点で計1万1500点余りの遺物が出土しており、このうちの一部が、国立慶州博物館の別館に保管されている。
2. 仏国寺
仏教で最も重要な釈迦牟尼仏と阿弥陀仏、ポプシン仏、観音菩薩を祀った4つの領域で構成された仏国寺は "地上に建てた仏の国"という賛辞を受けている。その中で、釈迦牟尼仏を祀ったエリアの自然石で作った、基層の基壇がとても印象的である。繊細に積んだ自然石は、大きさと模様の多彩さで、お互いの隙間を漏れなく満たしている。上の階にある自然石の不規則な突出が問題になることがあるが、これを変形させないでその形状にぴったり合わせて、削り出した人工石もかみ合っている。"クレンイ"工法と呼ばれるこの技術は、主に韓国の建築物でだけで見ることができる。
美的な美しさと完璧な工学的設計図を備えた、青雲橋と白雲橋を通って前庭に至る。仏国寺のベクミ、伝説の二塔が見える。無駄なくぴったりな比率で築造された釈迦塔は、単純な姿を見せてくれているが、これは韓国の石塔の完成形と呼んでも差し支えないほど。実際に釈迦塔を築造以来、ほとんどの韓国の塔はこれを模倣した。 これに比べて韓国では、非常にまれな華やかな装飾で造形された多宝塔は、インド式石塔にインスピレーションを受けたものだと言う。単純さと複雑さが、顔のように同じ場所に共存するのが神秘的だ。
3. 石窟庵
石窟庵は、まず圧倒的な規模と威容さで言葉を失ってしまう。次に、ここが世界で唯一の人工石窟という点を知って再び驚く。石窟庵の建築方式は、これまでにない独特さで、そのレベルの高い完成度は比べるものがない。"窟"という形式的な特徴を借用しているが、実際に石や土を掘っていないので、厳密な意味では窟ではなく、部屋と呼ぶのが正しいじゃないか。
そもそも石窟庵の建築家キム・テソンは、インドの伝統的な様式に影響を受けて掘り進めようとした。しかし、インドの柔らかい砂岩と異なり、韓国の石は堅い花崗岩だったので、これを積み上げてドーム形体の部屋を作ったもの。建設期間が約40年に達するという石窟庵では、ドームを積むことがおそらく一番大変だっただろう、と専門家たちは言っている。石を円形に柔らかく積んだ後に、最後の石を置く過程の痕跡が今も残っている。
仏法を守る神が4人ずつ立って、横で筋肉質のインワンサンが顔にいっぱいに力を入れて立っている。ここは仏様にお辞儀をして、供養を捧げる場所として作られた四角形の部屋である。これ過ぎると奥深く入った、円形の部屋が現れまるが、仏様が優雅に座っており、その壁面には、多くの仏像たちが、左右対称に刻まれている。部屋の中で仏を彫刻したポンジョンブルのその頭が、すぐ後ろの真ん中に来る。高度に計算された配置には少しの隙間がなく驚く。
4. 文武大王陵
慶州奉吉里(ボンギルリ)には、東海万景の青い波を抱いた、大小の自然岩がつながっているのが見られる。百済と高句麗を平定して、唐の勢力まで追い出して、三国統一の偉業を達成した領主、文武大王が永眠にしているところだ。
王が海に眠るなんて、ちょっと不思議なことかもしれない。死ぬ時まで海路に攻め込み、倭寇を守る事を望んでいた王は、財政を無駄にして多くの人の手がかかる葬儀文化を必死に拒否して、宮門外庭から仏教式にすることを注文した。先王の質素な性情と護国精神を垣間見ることができる。
▲ 陽北面奉吉里にある新羅第30代文武王の水中陵