慶熙宮がある場所は元々光海君の腹違いの弟である定遠君の私邸でしたがここに旺気があるといって、光海君がここを奪って臨時宮殿として建てたのです。政事には光海君が宮殿として建てたと記録されてありますが実は定遠君の勢いを抑えるためだったという。
5大古宮の中で、最も西側に位置する慶熙宮。朝鮮時代後期、東殿と呼ばれた昌徳宮(チャンドックン)、昌慶宮(チャンギョングン)に対し西殿と呼ばれ、王室の離宮として使用されました。火災や日本の植民地支配など数々の受難に遭ってきた慶熙宮がかつての姿を取り戻したのは、2000年代に入ってからです。大都会ソウルを象徴する高層ビル群に抱かれた慶熙宮は、韓国の今と昔が混在する市民の憩いの場として親しまれています。
泰寧殿の後側にヒキガエルが口を開けている奇妙な形の岩、'瑞巖(ソアム)'が見えます。岩から水が流れて出てくる姿を見た粛宗が縁起の良い岩という意味で名前を付けたので'王巖(ワンアム)"と呼ぶこともあります。慶熙宮は、他の宮殿に比べて訪れる人が多くないので宮廷の雰囲気が静です。
ソウル観光で疲れた心身を休めできるヒーリングスポット。たまった旅の疲れをとるのにおすすめの場所です。