雲峴宮(ウニョングン)は、現在の韓国ソウル特別市鍾路区に位置する李氏朝鮮時代の宮殿。興宣大院君の旧居であり、子高宗も12歳で即位するまでを過ごしました。
雲峴宮の歴史は14世紀まで遡ることができます。初期の建築物の多くは文禄・慶長の役に際して損なわれてしまったものの、いくつかの建築物はいまでも残っています。神貞王后趙氏の指示によって宮域は拡張され、4つの門を備えたのです。日本による統治時代には大院君の子孫から接収されていたが、1948年に返還、1993年にソウル市に売却されました。その後、修復に3年間を要しています。かつての宮域の一部には徳成女子大学校教育大学院や幼稚園・ゲストハウスなどが建てられているため、現在の宮域は狭くなっています。
雲峴宮は正式な宮殿ではなく、王族の親族である興宣大院君・李昰應(1820~1898)の一家が居住し生活していた空間だった所です。
ここに12歳まで住んでいた高宗(1863~1907)が王位に就いた後、大幅に拡張・新築し、宮に昇格したという経緯があり、この時から雲峴宮は4つの大門を持った雄壮な宮闕ほど雄壮な家に変貌しました。しかし日帝植民地期と韓国戦争で被害を受け現在の規模となりました。
雲峴宮正門を入ると、右側に長く建った守直舍という瓦屋がありますが、これは宮の管理と警備、雑用の担当者たちが主に住んでいた所。守直舍を過ぎると大門があり、興宣大院君が息を引き取った老安堂という建物があります。この老安堂を過ぎると還暦や宴など各種家内行事が行われた老楽堂があります。1866年高宗と明成皇后(1851~1895)との家礼もここで開かれ、明成皇后が王妃修業を受けた所としても有名。毎年4月と10月には高宗と明成皇后の結婚式を再現する行事が行われ数多くの人で賑わいます。
Jack's Tip.
別宮に使者を送り、王妃に冊封する妃受冊儀式、高宗と明成皇后の嘉礼儀式など様々な雲峴宮イベントが用意されている。
すべて無料なので、あらかじめ電話やインターネットホームページ(www.unhyeongung.or.kr)にて問い合わせをしてみましょう。