楽善斎は朝鮮の宮殿の中で一番最後まで王室の人々が生活した場所であります。その日も、1989年でわずか24年も足らずの短い時間です。宮殿の歴史とははるかにさかのぼることだと思っていた人々はここで驚きましょう。さて、この楽善斎で最後まで暮らしたのは誰でしょう。その人は高宗が還暦になってようやく得られた徳恵翁主。 1912年徳寿宮で生まれた彼女は波乱万丈の人生をここ楽善斎で生涯を終えました。
4月初旬頃になると楽善斎後苑で冬の間に顔を隠していた様々な花があちこちに咲きます。その中で楽善斎の梅は昌徳宮观缆池の生姜の花と春の伝令士になってくれる美しい花。この梅の花が地面楽善斎のアプリコットの花とさくらんぼの花が次々と咲いています。一ヶ月以上、春の華やかな雰囲気が続きます。
広い庭の向こう側に正面6間、側面2間の断層瓦屋根の家に建てられたところ。 "楽善斎"という名前には王が先行を施せば世の中が楽しくなるという意味が込められています。楽善斎は本来後宮の居所として建てられたところであり喪中の王侯たちが白装束姿で起居していたところで士大夫家の種類で多少平凡に建てられました。
宮殿のほかの沈殿建築物とは異なり、丹靑をしていなかったが宮廷沈殿の性格が加味され他の場所で簡単に見つけることができない様々な模様の装飾を発見することができます。この装飾は、朝鮮後期の建築職人たちの蓄積された技量を垣間見ることができるもので価値が高いです。
王室の女性たちが最後を過ごしたところである楽善斎は多分、国権を奪われた朝鮮皇室の最後を端的に見せてくれる空間ではないでしょう